― 提案する銀行員へ、そして二度目の試練
西日本銀行と福岡シティ銀行の合併と同時に、私はプライベートバンキング室へ異動した。
担当地区は「玄海ブロック」。
古賀支店、福間支店、赤間支店、東郷支店の四店舗を担当する、小さなブロックだった。
しかし、私にとっては何もかもが新しい世界だった。
知らない土地。
知らないお客様。
そして、知らない行員。
合併によって一緒になった西日本銀行の行員がほとんどで、私のことを知る人は誰もいなかった。
さらに、仕事の内容も営業店時代とはまったく違う。
相続、事業承継、資産運用、自社株対策……。
病気から復帰したばかりで体力も十分ではない。
片道一時間二十分の電車通勤。
そして、腹痛も完全には治っていなかった。
営業中に突然痛みが襲ってくることも珍しくなかった。
激しい痛みに耐えられなくなると、車を海辺へ止め、一人で波の音を聞いていたこともある。
不思議と波のせせらぎを聞いていると、少しだけ痛みが和らぐことがあった。
今思えば、心も身体も限界に近かったのだろう。
仕事も思うようにはいかなかった。
営業店から同行依頼がほとんど来ないのである。
それも当然だった。
私は新しく来た銀行員。
営業店の行員から見れば、「何をしてくれる人なのか分からない存在」だった。
知名度もない。
信頼関係もない。
私は考えた。
「待っていても何も始まらない。」
営業店との信頼関係をつくるために、自分から動こうと決めた。
そこで始めたのが、財務分析の勉強会だった。
ブロック内の営業行員約二十名と支店長四名を集め、二か月に一度のペースで開催した。
テーマは、
「決算書から何が読み取れるか。」
「財務分析をどう営業提案につなげるか。」
営業店時代の経験を交えながら、現場で使える内容を心掛けた。
これが予想以上に好評だった。
「あの話、分かりやすかった。」
「今度、このお客様を一緒に訪問してもらえませんか。」
少しずつ同行依頼が増えていった。
営業店との距離も縮まっていった。
同行訪問を重ねる中で、私は営業店時代との大きな違いを感じるようになった。
これまでは、融資を獲得することが営業の目的だった。
しかし、プライベートバンキングでは違う。
事業承継。
相続。
節税。
資産運用。
こうした切り口から、お客様自身も気づいていない課題を見つけ、提案をしていく。
「こんな提案を受けたのは初めてです。」
「相談して良かった。」
そんな言葉をいただく機会が増えていった。
銀行の仕事は同じでも、これほど世界が違うのかと驚いた。
そして、それまで出会うことのなかった方々ともお会いするようになった。
九州を代表する資産家。
素晴らしい技術を持つ中小企業の経営者。
上場企業の役員。
さまざまな人生に触れ、私自身の視野も大きく広がっていった。
ようやく仕事にも慣れ始めた一年半後。
再び、あの日がやってきた。
突然、耐えられないほどの激痛が腹部を襲った。
今までとは明らかに違う。
私は迷わず久留米大学病院へ向かった。
外来ではなく、直接消化器病棟へ。
診察すると体温は四十二度近くまで上がっていた。
医師からは、
「すぐに手術が必要です。」
と言われた。
腸管が破れ、多臓器不全寸前だった。
あと少し遅れていたら命が危なかったという。
二度目の大きな試練だった。
三か月に及ぶ入院生活。
退院後は、博多の本部へ異動することになる。
そこで玄海地区で好評だった、『決算書から読み取る提案手法』とでもいうか。
全店の営業行員を対象とした財務分析研修である。
二百を超える営業店のうち、約七十店舗を回り、決算書の見方や提案営業について講義を続けた。
そして約十か月後。
私は再び現場へ戻る。
担当は福岡県南地区。
かつて営業責任者として勤務した久留米営業部に常駐しながら、
事業承継・相続・M&Aの相談に携わる日々が始まった。
この頃には、私は確信していた。
融資だけでは、お客様の未来は守れない。
本当に必要なのは、経営者の人生そのものに寄り添うことなのだと。
その思いは、銀行を退職し、独立した今も変わることはない。
次回予告
第16回 忘れられない事業承継案件
「社長、この株をどうしますか?」
一本の相談から始まった事業承継支援。
そこで目の当たりにした現実が、私の人生をさらに大きく変えていくことになる。
第15回 プライベートバンカーへの第一歩
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